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最高裁判所第二小法廷 昭和52年(オ)696号 判決 1977年11月21日

上告人 服部宏一(仮名) 外一名

被上告人 佐藤文夫(仮名) 外一名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人三上英雄、同三輪長生の上告理由第一について

自筆遺言証書に記載された日付が真実の作成日付と相違しても、その誤記であること及び真実の作成の日が遺言証書の記載その他から容易に判明する場合には、右日付の誤りは遺言を無効ならしめるものではない。これと同趣旨の原審の判断は正当として是認することができる。そのほか、所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、いずれも採用することができない。

同第三について

所論は、原審で主張のなかつた事実に基づいて原判決の違法をいうものにすぎない。論旨は、採用することができない。

その余の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、いずれも採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉田豊 裁判官 本林譲 栗本一夫)

参考 第一審判決(横浜地川崎支 昭四九(ワ)八四号 昭五〇・一二・二六判決)

主文

一 原告らの請求をいずれも棄却する。

二 訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一 原告ら

1 訴外亡服部盛夫が昭和二八年八月二七日付自筆証書によつてなした遺言が無効であることを確認する。

2 被告らが右遺言を執行することを仮りに停止する。

3 訴訟費用は被告らの負担とする。

二 被告ら

主文同旨。

第二当事者の主張

一 請求原因

1 原告ら及び被告服部加代子は訴外亡服部盛夫の嫡出子である。右盛夫は昭和四八年一〇月二一日死亡したが、同人の昭和二八年八月二七日付の自筆証書の形式による遺言書(以下、本件遺言書という)が存在し、昭和四九年二月四日横浜家庭裁判所川崎支部において遺言書検認がなされた。被告佐藤文夫は本件遺言書によつて、遺言執行者に指定されている。

2 しかしながら、本件遺言書によつてなされた遺言は、以下の理由により無効である。

(一) 本件遺言書には次のごとき欠陥がある。

(1) 本件遺言書の文字及び内容は判読し難く、かつ、晦渋で意味不明である。

(2) 本件遺言書が作成されたのは昭和四八年であるのに、本件遺言書の作成日附は昭和二八年と記載されている。これを推察によつて昭和四八年と解することは民法九六八条に反する。

(3) 原告俊彦に関し、原告俊彦は「森田幸子の私生児であるから分与するには及ばない」旨記載されているが、かかる記載は戸籍簿上、原告俊彦の父が盛夫であり、母が森田昭である旨記載されている事実を全く無視している。

(二) 本件遺言書は盛夫の精神朦朧(精神異常)の状態において作成されたものである。

(1) 盛夫は十余年前から胆石症、中風症をわずらつて身体が不自由となり、これに伴つて精神状態も漸次悪化を来たし、昭和四八年七月には診療所に入院し、本件遺言をなしたと思われる同年八月頃は、脳疾患に加えて不眠、呼吸困難、むくみ等の症状があり、右諸症状により同人の精神状態は、意識朦朧、精神的欠陥の状況にあつた。

(2) 前記(一)(1)ないし(3)の事実からみても、本件遺言が盛夫の精神異常の状態でなされたことが明らかである。

(三) 本件遺言書は、盛夫の法律上の相談に与つていた被告佐藤が法律上の知識のない盛夫に遺言書の下書を与え、同人がこれを模写することによつて作成したもので、盛夫は遺言の趣旨を理解しておらず、真意に基づくものではない。

3 そこで原告らは、本件遺言書による遺言が無効であることの確認と被告らが本件遺言を執行することを仮に停止することを求める。

二 請求原因に対する被告らの認否及び主張

1 請求原因1の事実中、原告俊彦が盛夫の嫡出子であるとの点を否認し、その余の事実は認める。

2 同2(一)(2)の事実中、本件遺言書の作成年が昭和二八年と記載されていること及び同(3)の事実中、本件遺言書に原告ら主張のごとき記載があること、戸籍簿上原告俊彦の父は盛夫、母は森田昭との記載があることは認めるが、その余の事実は争う。

3 本件遺言書は次の経緯により、有効に作成されたものである。

(一) 昭和四七年一一月下旬、盛夫は知人の紹介により被告加代子に伴われて弁護士である被告佐藤を訪れ、盛夫所有の貸ビルの賃料増額等の事件解決を依頼し、右事件は同四八年六月解決をみたのであるが、その後さらに盛夫は被告佐藤に対し、右貸ビルの管理の件及び原告俊彦は戸籍上盛夫の二男となつているが、俊彦は盛夫の子でも離婚した妻森田昭の子でもなく昭の姉森田幸子の子であるから、この点はつきりさせたいとの件を依頼した。

(二) そこで被告佐藤としては、盛夫が比較的元気なうちに同人の希望に従つて同人に自筆の遺言書を書かせることが差当り重要と考え、同年八月二一日同人を見舞つた際、被告佐藤はかねてからの盛夫の意向、即ち同人の遺産は可能なかぎり被告加代子に譲ること及び原告俊彦は盛夫の子ではないので遺産を譲るべきでないこと等を盛り込んだ遺言書案を同人に交付し、この案を良く読んで自分で納得がいけば遺言書を作成するように話した。

そして、同年九月六日被告佐藤は盛夫を見舞つた際、同人から封筒入りの本件遺言書を受け取つた。

第三証拠

一 原告ら

甲第一、第二号証、第三号証の一ないし一〇、第四号証、第五号証の一ないし六、第六、第七号証を提出。

証人高田徳一の証言、被告佐藤文夫及び同服部加代子の各本人尋問の結果を援用。

乙第三号証の一、二、四の成立を認め、第一、第二号証の各一、第四号証につき官署作成部分のみ認め、その余は不知、第一、第二号証の各二の成立は不知、第三号証の三の成立は否認する。

二 被告ら

乙第一、第二号証の各一、二、第三号証の一ないし四、第四号証を提出。

被告佐藤文夫及び同服部加代子の各本人尋問の結果を援用。甲第六号証の被写体、撮影者は認め、その余は不知、その余の甲号各証の成立(但し、第三号証の一ないし一〇は原本の存在と成立)は認める。

理由

一 原告宏一及び被告加代子が訴外亡服部盛夫の嫡出子であること、右盛夫は昭和四八年一〇月二一日死亡したが、昭和四九年二月四日横浜家庭裁判所川崎支部において検認された本件遺言書が存在しており、本件遺言書の中で被告佐藤が遺言執行者に指定されていること及び戸籍簿上原告俊彦の父は盛夫、母は森田昭との記載があることは当事者間に争いがない。

二 自筆証書遺言が有効に成立するためには、民法九六八条一項に定める方式、即ち遺言者がその全文、日附及び氏名を自署し、これに捺印する方式を満たさなければならない。本件遺言書である乙第三号証の三には、

一 川崎市○○○にある土地建物と○○にある建物、預金、有価証券及び一切の動産を長女加代子に贈与する。

二 長女加代子は弁護士佐藤文夫氏と相談し長男宏一に遺留分に相当するものを分与するものとする。

三 戸籍上俊彦が私の弐男になつているが森田幸子の私生児であるから分与するには及ばない。

弁護士佐藤文夫を遺言執行者に指定する。

この遺言書は全文私が書き氏名を自署し印をおした。

昭和二十八年八月二十七日

川崎市○○×、×××ノ×

服部盛夫

と記載され、服部盛夫の名下に印が押捺されている。右遺言書の本文、日附及び遺言者の氏名が全部同一人の筆跡であることは右乙第三号証の三の記載自体から一見明白であり、成立に争いのない甲第四号証、乙第三号証の一、二及び被告佐藤文夫、同服部加代子の各本人尋問の結果によれば、右は服部盛夫の自筆であり、その名下の印影は同人の印によるものであつて、本件遺言書は同人が作成したものであると認められ、この認定に反する証拠はない。

三 原告らは本件遺言書には形式上欠陥があり、無効であると主張するので検討する。

1 まず原告らは本件遺言書の文字及び内容が意味不明であると主張するが、前掲乙第三号証の三によれば、本件遺言書の文字自体は乱れていて読みにくいきらいがあるけれども、十分にこれを判読することができるのであつて、その内容は、前記二で示したとおり、遺贈、相続分、遺言執行者の指定及び身分関係に関する内容であることが明瞭であり、その内容が晦渋で意味不明であるとはいえないから、原告らの右主張は理由がない。

2 次に、原告らは本件遺言書は昭和四八年に作成されたのに、その作成日附が昭和二八年と記載されているから本件遺言は無効であると主張し、本件遺言書の作成日附が「昭和二十八年八月二十七日」と記載されていることは前記二に示したとおりである。

そこで、本件遺言書が作成されるに至つた経緯等についてみるに、前掲甲第四号証、乙第三号証の一ないし三、被告佐藤文夫、同服部加代子の各本人尋問の結果によれば、昭和四七年一一月下旬、盛夫は知人の紹介により弁護士の被告佐藤と知り合い、同被告に対し、盛夫所有の貸ビルの賃料増額等の事件解決を依頼し、同四八年六月頃被告佐藤は同事件を解決したことから、その後さらに盛夫は被告佐藤に対し、別の貸店舗の賃料増額の件を相談し、また原告俊彦は戸籍簿上盛夫と森田昭間の子(二男)となつているが、真実は盛夫の子でも森田昭の子でもなく、その姉森田幸子の子であるから、この点の身分関係を訂正する手続を考えてくれるよう依頼するなど、種々法律問題を相談するようになつたこと、その後盛夫の一人娘である被告加代子が同年八月頃からバレー公演のためヨーロッパ旅行することになり、当時六八歳で血圧が高く、脳卒中後遺症(左半身不随)のある盛夫の面倒をみる者が居なくなるため、同人は同年七月末、○○診療所に入院したが、その頃被告佐藤は盛夫の友人である橋本学から、盛夫に遺言書作成を勧めてくれるよう話があつたこともあつて、被告佐藤がその旨盛夫に話したところ、同人はその案文を書いてくれるよう頼んだこと、そこで被告佐藤はかねて盛夫から、前記原告俊彦の身分関係訂正の意向及び遺産はできるだけ被告加代子に譲りたいとの意向を聞いていたので、この二点を主体に遺言書の案文を作成し、同年八月二〇日頃その案文を入院中の盛夫に手渡し、その際被告佐藤は同案文は同人の意向を盛り込んであるから良く読んで、良いと思う部分は取り入れて遺言書を作成してはどうか、しかし、遺言書は本人が自由意思で作成すべきものであるから、意に沿わない点は直すようにとの説明と注意をなしたこと、同年九月六日被告佐藤が右病院に赴いたところ、盛夫は封筒入りの本件遺言書を手渡したので、同被告がこれを保管し、盛夫の死後昭和四九年二月四日横浜家庭裁判所川崎支部において開披し、前記のとおり検認の手続を経たこと(右検認の手続を経たことは当事者間に争いがない。)及び本件遺言書の内容は被告佐藤作成の案文の内容とほぼ同一であること、以上の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

右事実、ことに、本件遺言書に、昭和四七年に初めて知り合つた被告佐藤を遺言執行者に指定する旨記載されている事実(前記二)及び被告佐藤はもと判事であつて昭和三〇年六月一八日退官したことは当裁判所に顕著な事実であるところ、本件遺言書には「弁護士佐藤文夫」と記載されている事実(前同)によると、本件遺言書の作成日附として記載されている「昭和二十八年」は「昭和四十八年」の書き損じであることが明白である。このように作成日附の記載に誤記があつてもその誤記であることが明白であつて、正しい作成日附を容易に判定できる場合には、遺言書の効力を左右するものではないと解すべきである。よつて日附に誤記があるから遺言が無効であるとの原告らの主張は理由がない。

3 また原告らは本件遺言書は戸籍簿上の記載を無視しているから無効である旨主張し、本件遺言書には原告俊彦は森田幸子の私生児である旨記載されていることは前記二において示したとおりであり、右記載が原告俊彦の父は盛夫、母は森田昭との戸籍簿上の記載に反することは当事者間に争いがないけれども、真実の親子関係がどうであるかは遺言とは別個の問題であり、遺言により右親子関係を左右しうるものではないから、本件遺言書の前記記載が戸籍簿上の記載に反するからといつて本件遺言が無効となるものではない。原告らの右主張は理由がない。

四 原告らは、本件遺言は盛夫の精神朦朧ないし精神異常(意思能力欠如)の状態においてなされたから無効であると主張する。

成立に争いのない甲第五号証の一ないし六及び証人高田徳一の証言によれば、盛夫は一〇年来高血圧症、左半身不全、心臓右室肥大、左脚ブロック等をわずらつていたが、同人が○○診療所に入院した昭和四八年七月二九日当時は、血圧が高まり右高血圧症の症状が悪化していたこと、同年八月一二日以降睡眠障害、シャックリ、呼吸困難等の症状が継続的に生じ、同年九月二七日以降に至つては意識障害、興奮状態、精神不安の症状を伴い、同年一〇月二一日心不全、脳出血後遺症、不全麻痺により死亡するに至つたこと(死亡時六八歳)が認められるけれども、右各症状のゆえに、直ちに、盛夫が本件遺言書を作成した同年八月二七日当時、精神=朧ないし精神異常の状態にあつたとは認められないし(意識障害等の症状が生じたのは九月二七日以降である。)、前認定の本件遺言書の文字が乱れていて読みにくい事実、前記作成年の書き誤りの事実及び戸籍簿と相反する記載の事実にしても、盛夫が右のごとき状態にあつたことを認めさせる証左とはならず、他にも同人が本件遺言書作成当時精神朦朧ないし精神異常の状態にあつたことを認めるに足りる適切な証拠はない。却つて、証人高田徳一の証言及び被告佐藤文夫の本人尋問の結果によれば、盛夫が入院した同年七月二九日以来、前認定の意識障害等の症状が生じた同年九月二七日までは、同人の意識は終始はつきりしていたことが認められる。したがつて、原告らの前記主張は採用できない。

五 原告らは、本件遺言は盛夫の真意に基づかないから無効であると主張する。

しかしながら前記三の2で認定した本件遺言書作成に至る経緯等によれば、盛夫は同人の法律上の相談に関与していた被告佐藤から遺言書作成を勧められたこともあつて、被告佐藤にその案文作成方を依頼し、後日被告佐藤から手渡された案文を基に、ほぼ案文と同一内容の本件遺言書を作成したものであり、盛夫が高齢であり、かつ本件遺言書作成当時病気入院中であつたことを考慮しても、これらのことから直ちに、同人が被告佐藤作成の案文を単に模写して本件遺言書を作成したに過ぎないとも、本件遺言の趣旨を理解していなかつたともいえず、本件遺言書が同人の真意に基づかないものとは認められないし、他にもこれを認めさせるに足りる証拠はない。却つて、前記三の2で認定したように、被告佐藤は案文を盛夫に手渡す際、同案文は同人の意向を盛り込んであるから良く読んで、良いと思う部分は遺言書に取り入れるように、しかし、遺言書は遺言者が自由に内容を決めうるものであるから、意に沿わない点は直すようにとの趣旨の説明及び注意をなしたものであり、同人は右説明と注意に配慮しつつ本件遺言書を作成したものと推認されるのであつて、むしろ本件遺言は同人の真意に基づくものというべきである。したがつて、原告らの前記主張は採ることができない。

六 以上のとおりであるから、本件遺言書は法定の方式に則り適法に作成されたものであつて、これが無効であるとする原告らの主張はすべて理由がなく、したがつて本件遺言書によつてなされた遺言は有効である。

なお本件遺言執行を仮に停止する旨の請求は、本件遺言の無効を前提とするものと考えられるところ、先に説示したとおり、本件遺言無効の主張は理由がないから、右請求もまた理由がない。

よつて原告らの本訴請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 杉田洋一 裁判官 原健三郎 樋口直)

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